なぜ、アートが、人の心を動かすのか。
- SATSUKI DESIGN OFFICE

- 6 日前
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最近、アトリプシーの活動を通して、「人はどんな瞬間に、いちばん“生きている”と感じるんだろう」という問いが、私の頭の中でずっと揺れ動いている。
わたしたちは、病気や不安、喪失、迷いの中で、うまく言葉にできない感情を抱えて生きている。強く見せたくて飲み込んだ言葉、誰にも伝えられなかった気持ち、涙の奥に置き去りにしてきた 本音。アートを通して出会う人たちに、そうした言葉の影のようなものを感じる時がある。
「もうずっと頑張ってる。でも、がんばってねと声をかけられる。勇気づけてくれようとしているのはわかっているけれど、時々つらくなる。だけどこのアートを見てると、少し気持ちがラクになる。」
対話する中で、ふわっと出てくる気持ち。 アートは、励ましているわけではないのだけど、なんだか自然と励まされたような感覚になる。寄り添ってくれて、そのアートの中の揺らぎに、自らの在り方が見えてくるのかもしれない。
私は、ここにいると静かに思い出すような。
アートは、いまのあなたをそのまま描いてくれる。
私は、アトリプシーの活動を通して何度も思わされる。
人は、表の世界だけで生きているんじゃない。影の中にもわたしという存在があって、裏でひっそりと呼吸している。でも人は、その影があってこそ、深く生きることを味わうようになるのだと。
アートの前に立つとき、人は取り繕う必要がなくなる。強がりも、弱さも、閉じ込めてきた痛みも、誰にも見せたくなかった揺らぎも——すべてが色の中にそっと溶けていく。その瞬間、「こんな自分でもいいんだ」という小さな許しが、胸の奥でふっと灯る。
アートは、誰かを救おうとして救うのではなく、ただそこに在り続けることで、人が自分自身に触れるきっかけになる。にじむ色の境目で、人は自分でも気づかない本音と出会う。そして、その本音に気づいたとき、影は影のままではなくなり、生きていく力に姿を変える。
アトリプシーで出会う作品たちは、そうした静かな変化の証のように思える。
色が重なり、揺らぎ、溶け合うたびに、そこに生きてきた誰かの時間や痛みや願いが深い呼吸となって広がっていく。あなたがいまを抱えながら生み出す色は、必ずどこかで誰かの心を照らす。
アートは、人と人をつなぐためのいちばんやさしい光なのかもしれない。
もし、これを読んでくれている人がいたら、聞いてみたい。
あなたの中にある“言葉にならない気持ち”は何ですか?
病気とか病気じゃないとかは関係なく、あなたの中にある言葉にならない気持ち。
それは、悲しみかもしれない。言えなかった誰かへのありがとうかもしれない。未来への小さな希望かもしれない。心の奥でずっと泣いている声かもしれない。もう一度だけ信じたいものがあるのかもしれない。
ひと言でも、断片でも、色で例えても、比喩でもいい。
もしよかったら、その言葉にならない気持ちを、コメント欄にそっと置いていってください。匿名でも、ひらがな一文字でも大丈夫。あなたのそのことばが、きっと誰かの心の灯りになると思うのです。
ひとりの表現が、だれかの希望になる。
あなたの想いが、今日もどこかで静かに誰かを支えていることを、どうか忘れないでほしいです。


