【考察】『ルックバック』が教えてくれる“わたしたち感”とは?孤独とつながりの物語
- SATSUKI DESIGN OFFICE

- 5 日前
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何度も繰り返し観てしまう映画がある。藤本タツキさん原作の『ルックバック』だ。
なぜこんなに惹かれるんだろう。
その答えは、たぶん作品に流れている 「わたしたち感」 にある。
あのドアの前に立つ、震えるようなシーン
主人公の二人が、まだ“同級生”という薄い関係でしかなかった頃。うっかり手渡された四コマ原稿が、ふたりの世界を変えていく。
あの、ドアの前に立ち尽くすシーン。ノックしたいのにできない、けれど戻ることもできない——心の中で「どう思われているんだろう」「本当は話したいのに」そんな声が重なり合う。一緒に机を並べて描いていなくても、互いの線が気になってしまう。隣にいないのに、隣に座っているような気持ちになる。あの関係性こそが、私がいう“わたしたち感”の原型だ。
離れても消えない、静かな“わたしたち”
映画の中で、二人はずっと一緒にいるわけじゃない。むしろ離れている時間の方が長い。けれど、どちらかが机に向かうとき、もう一方の存在がふっと背中に浮かぶ。「あなたが描くなら、私も描かなきゃ。」そんな言葉にならない会話が、画面の向こうで続いている。依存ではない。束縛でもない。でも、確かに“わたしたち”がそこにある。
「いま、ここにいないあなたの存在が、私のなかに生きている。」
作品全体を流れるこの感覚は、距離や時間を越えて、ふたりをつなぐ見えない糸のようだ。
偶然から始まる「わたしたち」
『ルックバック』では、ひとつの偶然がすべてを動かしていく。最初は、画力の差に心をえぐられたり、怒りに似た悔しさで胸がつまったりする。「なんであの子はあんなに描けるの?」「どうして自分はこんなに…」そんなモノローグのような痛みが、作品をよりリアルにしている。でも、話してみなければ始まらない。近づいてみなければ、何も変わらない。そして、予期せぬ出来事がふたりの人生を豊かにも、苦しくも変えてしまう。
「関わらなければ、こんな気持ちにならなかったのに」「でも、あなたと出会えてよかった」
矛盾が胸の中で同時に息をする。人間の関係って、きっとこういう複雑な陰影の中にあるのだろう。
自責の声が響くシーン
ある出来事を境に、主人公は呟く。「もし、あのとき自分が別の選択をしていたら」——そんな後悔が胸の奥で何度も再生される。けれど、人は誰かと関わらずには生きられない。怖くても、痛くても、誰かを思う心は止められない。『ルックバック』はその事実を、言葉ではなく“線”と“間”で語ってくる。
ひとりのようでひとりではない
作品の中では、一人で机に向かい、ペンと白い紙だけがあれば生きていけるように見えるシーンもある。でも本当は違う。ペンを握った手を支えたのは、あの日、自分の心を震わせた“誰か”だ。生きていると、人間関係は難しくて、「ひとりの方が楽だな」と思う瞬間がある。けれど、よく考えてみると電気がつくのも食べ物があるのも言葉を覚えたのもすべて“わたしたち”の積み重ねだ。
ひとりでいるように見える時間さえも、無数の“わたしたち”に支えられて成立している。
この気づきは、アトリプシーを続けていく中でも幾度となく私に訪れたものだ。
アトリプシーと「わたしたち感」
アトリプシーの現場でも、「わたしたち」が生まれる瞬間を何度も見てきた。初めて会う人同士なのに、アートの前では、心の温度がふっと近づく。誰かの描いた線が、別の誰かの胸の奥を震わせる。
作品を纏う人が、その作者の生き方に少しだけ寄り添おうとする。その連鎖が“別のわたしたち”を生み出していく。離れていても思いが残る。会ったことがなくても届いていく。『ルックバック』で描かれた、離れていても消えないふたりの関係と、とてもよく似ている。
ひとりの表現が、誰かの希望になる
映画のラストに近づくにつれ、いつも胸が苦しくなる。人は誰かの人生に影響を与えずには生きられない。その影響が光になるか影になるかはわからない。でも、ひとりの表現が、誰かの明日をそっと支えることがある。アトリプシーでも、参加者が描いた一枚が、別の誰かの背中を押している場面を何度も見た。
「わたし」と「あなた」の境界が、ほんの少し溶ける瞬間。
あの映画で描かれた“ふたりのつながり”の続きを、現実に見ることがある。
ルックバックがわたしに刺さる理由
映画を観て涙があふれるのは、そこに「わたしたちは、わたしを通して、誰かとつながっている」という事実が描かれているからだ。ひとりで生きられると思った時こそ、世界を満たしている“わたしたち”という見えない糸をそっと思い出してほしい。
あなたの人生にも、静かに寄り添う“わたしたち”が必ず存在する。
孤独なようで、孤独ではない。ひとりのようで、ひとりではない。
今日も、どこかで誰かが描いた線が、また別の誰かの心を照らしている。
その“わたしたちの物語”は、これからも静かに続いていくのだと思う。


