病院で見つけた「文化」という営み。人が文化的存在として生きるために、アートができること
- SATSUKI DESIGN OFFICE

- 7月11日
- 読了時間: 9分
更新日:8月4日
皆さんは「文化」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。美術館、博物館、音楽、演劇、映画、伝統芸能、お祭り。どれも間違いなく文化です。
まず、ユネスコは1982年の「メキシコシティ文化政策宣言」で、文化を次のように定義しています。
「文化とは、ある社会または社会集団の精神的、物質的、知的、感情的な特徴をあらわす総体であり、芸術や文学だけでなく、生活様式、人間の基本的権利、価値体系、伝統及び信仰を含むものである。」
文化 = 芸術ではないということですね。
人が「その人らしく生きる」ために育んできた知恵や営み
全部が文化。
わたしは、「文化」とは芸術や芸能など、少し特別なものだと思っていました。けれど、今日学んだことを自分なりに文章化してみると、文化とは、特別な人だけがつくるものではなく、一人ひとりの日々の暮らしの中にあるものではないか、です。
文化政策と生活文化
公開されている文化政策論の中には、自治体の文化政策について、次のような記述があります。
「地方自治体の文化政策(以後『自治体文化政策』という)は、第一に市民文化の振興を主題とする。その対象は、乳幼児から高齢者まで、男女はいうに及ばず、障害者などの社会的少数者も視野に入る。さらに、市民が関わる芸術文化だけではなく、市民の生活文化をも包含する範囲に及ぶ。この基礎に位置しているのは、『市民の文化的人権』を保障する(守る)という明確な理念でなくてはならない。」(中川幾郎「自治体文化政策の存在根拠」『アートマネジメント研修会テキスト』全国公立文化施設協会、2013年)
この文章を読んだとき、私の中で強く残ったのは「生活文化」という言葉でした。文化とは、芸術だけではない。暮らしそのものが文化である。そう考えると、私たちの日常は文化で満ちています。
朝、「おはよう」と声を掛け合うこと。お気に入りの服を選ぶこと。季節の花に目を留めること。誰かと食卓を囲むこと。好きな色を選ぶこと。誰かと笑い合うこと。自分の気持ちを言葉や絵で表現すること.....こうした一つひとつが、人間らしく生きる営みであり、文化なのかなと思いました。
病院にも文化がある
先日(2026年7月9日)、私は、豊中市福祉部地域共生課による「ケアと暮らしの重なりデザイン事業」の一環として、市立豊中病院で開催されるAYA世代の交流会「AYAトーク」と連携し、AYA世代とそのご家族を対象としたインクアートワークショップを開催しました。
病院というと、診察、治療、看護、検査、リハビリといった医療行為を思い浮かべます。もちろん、それが病院の最も大切な役割です。しかし、その場所で過ごしている人たちは、「患者」という役割だけを生きているわけではありません。
一人の親であり、子どもであり、会社員であり、友人であり、地域で暮らす生活者でもあります。病院に入った瞬間に、その人の人生が止まるわけではありません。私たちには、好きな色もあります。好きな音楽もあります。大切な家族もいます。趣味もあります。思い出もあります。未来への希望もあります。つまり、人は病院にいてもなお、文化的存在なのです。
私は、自分が闘病をして、病院の中では文化が見えにくくなっているのではないかと感じています。医療は、病気を診て、身体を治療します。その一方で、その人らしい暮らしや価値観、趣味、表現、人との関係性といった文化的な側面は、治療という大きな目的の前では、どうしても背景へと退いてしまいます。それは医療が悪いということではなくて、命を守るために、必要なことです。けれど、人は命だけでは生きられないのです。―――――それをわかってほしい。
その人らしく生きること
誰かと笑い合うこと。好きなものを好きと言えること。自分を表現できること。そうした文化的な営みもまた、人が生きる上で欠かせないものなのではないでしょうか。
私が実施した、市立豊中病院でのインクアートのワークショップで目指したのは、「上手な作品をつくること」ではありません。参加者それぞれが好きな色を選び、偶然生まれる模様を楽しみ、その作品をきっかけに会話が始まることでした。
「その色、素敵ですね。」
「どうしてその色を選んだんですか。」
そんな一言から、病気の話だけではなく、家族のこと、仕事のこと、好きなこと、これからやってみたいことなど、それぞれの人生が語られることを期待しました。そこにいるみんなは、「がん患者」でも、「AYA世代の患者」でもなく、一人の生活者であり、一人の市民であってほしい。作品が完成したことではなく、人と人との関係が生まれたこと。表現を通して、その人自身の物語が語られること。そこに意味があると思っています。
アートができること
アートは、治療を代わるものではありません。医療行為でもありません。けれど、アートには、人が再び「自分自身」と出会う入口をつくる力があります。そして、その入口から生まれる対話や関係性は、人が文化的存在として生きる時間を取り戻していくのだと感じています。
私はアトリプシー/ART+3Cという活動の中で、「表現すること、装うこと、人とつながること」を大切にしています。それらはすべて「文化的な営み」なのだと思います。
表現すること。装うこと。語り合うこと。誰かと笑うこと。どれも、人が人らしく生きるための文化です。だからアトリプシーとして取り組んでいるのは、人が文化的存在として生きられる時間と関係性を社会の中に育てていく実践なのかもしれません。
病気になっても。
障害があっても。
年齢を重ねても。
誰もが、自分らしく表現し、装い、人とつながり、暮らしを営むことができる。その当たり前を、社会の中で守っていくこと。それは、文化政策とも深くつながる営みなのではないでしょうか。私はこれからも、病院で、地域で、学校で、企業で、アトリプシーの活動を続けていきたいと思います。
わたしは、アートやワークショップの先生ではありません。人が、人として生きること。その人らしい暮らしや関係性を、もう一度社会の中に結び直すためにやっています。文化は、私たち一人ひとりの暮らしの中にあります。そして、その文化を守り、育てていくことは、誰か特別な人の役割ではなく、私たち一人ひとりが担っている営みなのだと思います。
文化政策と病院は、交わるのだろうか
ここまで考えてきて、私は一つの問いにたどり着きました。文化政策と病院は、一見するとまったく異なる領域に見えるのに、なぜ私の中ではつながっているのだろう。文化政策は、これまで美術館や劇場、文化施設、芸術活動の支援などを中心に語られることが多くありました。一方で、病院は医療を提供する場所であり、診断、治療、看護、リハビリテーションなどを担う専門的な空間です。
しかし、「文化とは人が人らしく生きる営みである」と考えるならば、この二つは決して無関係ではないと思うんです。先ほども申し上げたように、病院にも、人の暮らしがあります。そこには日常があり、感情があり、他者との関係があります。治療を受ける時間だけではなく、誰かと話し、窓の外の景色を眺め、季節を感じ、未来について考える時間があります。人は病院の中でも生活者であり、市民であり、文化的存在であり続けています。
だとすれば、病院を医療だけで捉えるのではなく、「文化的な営みが行われる公共空間」として捉え直すこともできるのではないでしょうか。誤解のないように何度も言いますが、病院の第一の役割は医療です。命を守り、身体を治療することにあります。その役割が揺らぐことはありません。しかし、人の健康とは、身体だけで成り立つものではないのです。
世界保健機関(WHO)は健康を、単に疾病がない状態ではなく、身体的・精神的・社会的に良好な状態であると定義しています。この考え方に立てば、人との関係や自己表現、社会とのつながりもまた、人が健康に生きるための重要な要素であることが見えてきます。
近年、「ヘルス・ヒューマニティーズ(Health Humanities)」という学際的な研究領域が広がりを見せています。ヘルス・ヒューマニティーズは、文学、美術、音楽、演劇、哲学、歴史など、人文学や芸術の視点を医療や健康の実践と結び付け、人間を病気だけではなく、一人の生活者、一人の存在として理解しようとする学問です。
そこでは、「患者とは誰か」という問いよりも、「その人はどのような人生を生きてきたのか」「その人らしく生きるとはどういうことか」が重視されます。私は、この視点に強く共感しています。アトリプシー/ART+3Cが目指しているのも、まさにそこだからです。
私たちが病院で行うワークショップは、アート作品を制作すること自体を目的としていません。作品を介して対話が生まれ、他者との関係が生まれ、自分自身を語る機会が生まれることを大切にしています。そこでは、診断名や治療経過ではなく、「私はこんな色が好きです」「この模様を見ると安心します」「この色は娘を思い出します」といった、一人ひとりの人生の物語が立ち現れます。それは、病気によって失われた何かを補うというよりも、その人が本来持っている文化的な営みをもう一度社会の中で可視化し、他者と共有するプロセスなのではないかと考えています。
私は、文化政策が目指す社会と、ヘルス・ヒューマニティーズが目指す医療には、共通する基盤があるように感じています。どちらも、人を「サービスの受け手」としてではなく、表現し、学び、関係を築きながら生きる主体として捉えようとしています。だからこそ、病院という空間にも文化政策の視点が必要なのではないでしょうか。
文化を病院へ持ち込みたいと言っているわけではないです。病院の中にすでに存在している文化的な営みを見つめ直し、文化が育まれる環境をつくること。私は、アトリプシー/ART+3Cを通して、そのような実践を積み重ねていきたいと考えています。病院は、病気を治す場所であると同時に、人がその人らしく生きることを支える場所でもあってほしい。そして、その「その人らしさ」を支えるものの一つが文化なのだと、私は考えています。
※本稿は、月1で開催されている「文化行政を考える会」での学びや、市立豊中病院での実践を通して考えたことを、自分なりに整理したものです。今後も文化政策やヘルス・ヒューマニティーズについて、そして、アートができることを学びながら、自身の考えを深めていきたいと思います。

参考文献
UNESCO(1982)“Mexico City Declaration on Cultural Policies.”World Conference on Cultural Policies, Mexico City, 26 July–6 August 1982.
UNESCO, “About the Culture Sector.”1982年の「メキシコシティ文化政策宣言」における文化の定義を紹介しているページ。
中川幾郎(2013)「自治体文化政策の存在根拠」『アートマネジメントハンドブック②』公益社団法人全国公立文化施設協会、4–5頁。
文化庁「文化芸術基本法」
国際連合「世界人権宣言」第27条すべての人が社会の文化生活に参加し、芸術を享受する権利を有することを示している。
World Health Organization, “Constitution of the World Health Organization.”健康を、単に疾病がない状態ではなく、身体的・精神的・社会的に良好な状態として定義している。
Health Humanities Consortium, “Defining Health Humanities.”健康と人文学、芸術、社会科学が交差する学際的領域として、ヘルス・ヒューマニティーズを説明している。
Fancourt, Daisy and Saoirse Finn(2019)What is the Evidence on the Role of the Arts in Improving Health and Well-being? A Scoping Review. World Health Organization Regional Office for Europe.芸術活動と健康、ウェルビーイングとの関係について、世界各国の研究成果を整理した報告書。

